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神戸地方裁判所 昭和50年(ワ)936号 判決

原告

田村保成

右法定代理人親権者父兼

原告

田村保夫

同母兼

原告

田村裕子

右三名訴訟代理人

丹治初彦

被告

社団法人全国社会保険協会連合会

右代表者理事

加藤富久平

右訴訟代理人

米田泰邦

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告田村保成(以下「保成」という。)に対し、金一六〇〇万円及び内金一五〇〇万円に対する昭和四七年一〇月七日から、内金一〇〇万円に対する同五八年五月二七日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告田村保夫(以下「保夫」という。)及び同田村裕子(以下「裕子」という。)に対し、各金二七五万円及び内金二五〇万円に対する昭和四七年一〇月七日から、内金二五万円に対する同五八年五月二七日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告保成は、昭和四七年八月六日原告保夫と原告裕子間の長男として出生した。

被告は、神戸市中央区中山手通七丁目五二番地において、産婦人科、小児科及び眼科等の診療を目的とする社会保険神戸中央病院(以下「被告病院」という。)を開設し、多数の医師を雇傭して診療にあたらせている。

2  原告保成の失明

(一) 原告裕子は、昭和四七年八月六日早朝被告病院に入院し同日午前八時二〇分原告保成を出産した。

(二) 同原告は、在胎七か月の未熟児であり、その生下時体重は一〇六〇グラムであつたため、出生直後から同年九月二二日までの間、被告病院小児科の保育器に収容されて看護を受けた。

(三) 同原告は、同年九月二二日兵庫県立こども病院に転医し未熟児網膜症(以下「本症」という。)の治療のため、同日を含めて二回光凝固法による手術を受けたが、成功せず同年一〇月七日両眼とも失明状態であると診断された。〈以下、省略〉

理由

第一原告保成の出生から失明までの経緯等

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告保成の出生から失明までの経緯

1  請求原因2の事実及び同4の(三)のうち、被告病院が原告保成の動脈血酸素分圧を測定しなかつたこと、昭和四七年九月一四日初回の眼底検査を行なつたこと、同原告に対し副腎皮質ホルモンやビタミンEを投与していないこと及び同原告が同月二二日こども病院において光凝固術を受けた当時すでにオーエンスⅢ期であつたことは、いずれも当事者間に争いがなく、請求原因4(一)の事実については、被告の明らかに争わないところである。

2  右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 原告保成は、その分娩予定日は昭和四七年一一月一二日であつたが、同年八月六日午前八時二〇分、切迫流産により被告病院において出生した。

その生下時体重は一〇六〇グラムであり、在胎二六週の極小未熟児であつつた。

生下時は仮死(二度)、チアノーゼ状態で、初発呼吸もなく、生後も仮死状態であつたため(アプガル指数五)、被告病院小児科に入院となり、被告病院は、同日午前八時三五分同原告を保育器に収容し、毎分流量二リットルの酸素の投与を充満法により開始した。

(二) 酸素投与の量は、同原告の後記全身状態及び呼吸状態の変化に注意を払い、これに対応して、毎分0.5ないし2リットルの流量に慎重に調節され、その濃度も、二〇ないし三〇パーセントに保たれ、同原告の全身状態等が一応安定した同年九月八日まで投与を継続した。

(三) その体重は、同年八月一九日には八六〇グラムにまで低下したが、その後徐々に回復し、同年九月四日に一〇〇〇グラムを越え、同月一四日には一一三〇グラムになつた。

(四) その全身状態については、当初活気がなく、不良であつたが、同年八月九日から体動が活発になつた。チアノーゼは、同年九月四日まで呼吸状態の不良なときにしばしばみられ、酸素投与打切後の同月一二日及び一四日にもみられた。

(五) その呼吸状態は、当初チアノーゼを伴う無呼吸発作をくり返し、速迫状態になるなどの不整が続いたが、同年八月二五日から徐々に安定し、無呼吸発作も同年九月四日を最後にその後はみられなくなつた。

(六) 同月一四日(生後日数三九日)、被告病院眼科医師波田啓子により、同原告の眼底検査が実施された。その所見は、両眼の水晶体に白内障様混濁を認め、右眼の硝子体に増殖性混濁が強く、これらの中間透光体の混濁のため、両眼とも眼底は診察しにくい状態で、周辺部は見えず、後極部がわずかに見え、動脈及び静脈に軽度の血管の蛇行が認められたが、後極部の網膜の剥離は認められなかつた。同医師は、右所見に基づき、同原告の診療録には、一応の病名として、両側先天性白内障、右増殖性網膜炎と記載した。

右の所見は、本症について診察経験のなかつた同医師にとつては、特異なものであつたことから、同医師は、直ちに本症についての専門家であつたこども病院眼科医長山本節医師に対し右所見を伝えたうえ、同原告の診察を求めたところ、同医師は、同月一八日に被告病院において診察することとなつた。

(七) 同月一八日、山本医師により同原告の眼底検査が行なわれ、その所見は、波田医師の前記所見と同様であつたが、中間透光体の混濁はヘイジィメディアによるものであることが判明した。

山本医師は、同原告のその当時までの身体状態、酸素投与の期間及び程度、眼底の血管の蛇行状態並びにヘイジィメディアの存在等の所見から、本症に罹患しており、これが進行する可能性があると判断し、同医師の指示する日に同原告をこども病院へ転医させて、その治療を受けさせることとし、その旨被告病院に伝えた。

(八) 同原告は、山本医師の指示によつて、同月二二日にこども病院に転医することとなつたので、被告病院は、転医後の眼底検査に備えて、同月二一日から同原告に対し散瞳処置をし、翌二二日午前八時三五分こども病院へ転医させた。

(九) 山本医師は、同日午前、同原告の眼底検査を実施したところ、両眼ともすでにオーエンスⅢ期に至つており、直ちに光凝固術を行なう必要があると判断し、これを行なつた。

しかし、その後も新生血管の増殖が止まらなかつたため、同年一〇月六日再度光凝固術を行なつたが、その効果はなく、結局翌七日同原告の両眼は失明していることが判明した。

第二未熟児網膜症の現状

〈証拠〉を総合すれば、本症の現在における知見として、次の一ないし四の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

一本症発生の要因及び機序

1  発生要因

本症の発生要因については、未解明な点が少なくない。

本症の発生は、未熟児に多く、特に生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎三二週以下の極小未熟児には発生率が高く、重症例も多い。しかし、本症には自然緩解例も多い。

本症の発生は、その未熟児の全身状態との関連がみられ、後記オーエンス活動期Ⅲ期まで進行するのは、反復性無呼吸発作に対して酸素療法が行なわれた例に最も多く、特発性呼吸障害症候群の例にも多くみられる。そのほか、体重増加が遅く、全身状態の悪いもの、手術を要するほどの他の合併症を有するもの、眼球の混濁が長く続くものなどに本症が発生しやすい。

2  発生機序

本症は、未熟な網膜に起こる非炎症性の血管病変であり、血管の異常な増殖性変化がその特徴である。この病変は、網膜血管の未熟なものほど発生しやすく、酸素が発症のひきがねの役割を果たす。

しかしながら、網膜血管の発達の程度や酸素に対する反応性には、個体差が大きく、成熟児でも、また、全く酸素療法を受けない場合でも、本症の発生をみることがある。

二本症の臨床経過

本症の臨床経過は多様であり、その分類は困難であるが、多数の学者により、種々の分類がされてきた。

1  オーエンスの分類

オーエンスは、一九五一年本症の臨床経過について次の分類法を発表し、わが国では従来、この分類法に準拠して研究や診断が行なわれてきた。

(一) 活動期

Ⅰ期(血管期) 網膜血管の迂曲怒張をもつて特徴づけられる。

Ⅱ期(網膜期) 網膜周辺に限局性灰白色の浮腫が出現し、その領域には竹かご状の血管新生がみられ、出血や硝子体混濁が出現する。

Ⅲ期(初期増殖期) 限定性の網膜隆起部の血管から血管発芽が起こり、血管新生の成長が増殖性網膜炎の形で硝子体内へ突出し、周辺網膜に限局性の網膜剥離を起こす。

Ⅳ期(中等度増殖期)

Ⅴ期(高度増殖期) 本症の最も活動的な時期で、網膜全剥離を起こしたり、ときには眼内に大量の出血を生じ、硝子体腔を満たすものもある。

(二) 回復期

(三) 瘢痕期

瘢痕の程度に応じて、Ⅰ度からⅤ度に分類される。

2  厚生省研究班の分類

植村恭夫を主任研究者とする厚生省特別研究費補助金による昭和四九年度研究班は、昭和五〇年「未熟児綱膜症の診断および治療基準に関する研究」を発表した。

これは、わが国の本症研究者の間において、オーエンスの分類法に準拠するには不都合な点が多数ある旨指摘されるに至つたこと、後記光凝固などの治療法が開発されたが、その適期や適用の限界について眼科医の間で意見が分かれていたため、その一応の基準を示す必要があつたこと、臨床経過や予後の点からみて、従来の分類法と異なり急激に網膜剥離に進行する型の存在が明らかになつたことなどの点から、本症の診断及び治療の基準などについて、統一見解を示したものである。

(一) 活動期

本症の活動期は、臨床経過及び予後の点から、Ⅰ型とⅡ型に大別される。

Ⅰ型 主として耳側周辺に増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的ゆるやかな経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型である。その臨床経過は次の四期に分類される。

一期(血管新生期) 周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は、無血管帯領域で蒼白に見える。後極部には変化がないか、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

二期(境界線形成期) 周辺ことに耳側周辺部の血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域との境界部に、境界線が明瞭に認められる。後極部には血管の迂曲怒張を認める。

三期(硝子体内滲出と増殖期) 硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。

この期をさらに、前期、中期、後期に分ける意見もある。

四期(網膜剥離期) 明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から全周剥離まで、範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの期に含まれる。なお、Ⅰ型の場合、二期までで停止した場合には、視力に影響を及ぼすような不可逆性変化を残すことなく、自然緩解する。三期においても自然緩解は起こり、牽引乳頭に至らず治癒するものがあるが、牽引乳頭、襞形成を残し弱視となるもの、頻度は少ないが剥離を起こし失明に至るものもある。

Ⅱ型 主として極小低出生体重児にみられ、未熟性の強い眼に発症し、初発症状は、血管新生が後極よりに起こり、耳側のみならず鼻側にも出現することがあり、それより周辺側の無血管帯が広いものであるが、混濁のためにこの無血管帯が不明瞭なことも多い。後極部の血管の迂曲怒張も初期からみられる。Ⅰ型と異なり、段階的な進行経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い、比較的急速な経過で網膜剥離を起こすことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良の型のものをいう。

混合型 右Ⅰ型、Ⅱ型のほかに、極めて少数であるが、両者の混合型といえる型がある。

(二) 瘢痕期

本症の瘢痕期は、瘢痕の程度と視覚障害の程度から、一度ないし四度に分類される。

三本症の予防と早期発見

1  予防

本症の予防には、その最大の悪化要因である酸素投与を最低限に抑制することが重要である。

酸素投与の適正量をみるには、動脈血酸素分圧を測定する必要がある。その測定は、従来動脈中に検査針を挿入する方法により行なつていたため、多大の困難を伴い、連続測定はできなかつた。

アメリカの小児科学会は、一九七一年、動脈血酸素分圧を一〇〇ミリメートル水銀柱を越えず、六〇ないし八〇ミリメートル水銀柱に保つよう勧告を出した。

しかし、右勧告の基準を守つていても、本症の発生する例がみられ、酸素療法については、安全な基準は未だ確立されたとはいえず、出生後の予防には限界があり、極小未熟児の出生そのものを予防するほかない。

山内逸郎は、昭和五〇年、そのころ開発された皮膚面から容易にこれを測定する方法を用いて、呼吸の不安な未熟児においては、その値が大きく変動することを報告し、無呼吸発作時などにおいて、一日数回の測定を行なつたとしても、全く無意味なことを明らかにした。

しかし、右の経皮的酸素分圧測定法は、同年ころにおいても広く実用化されるには至らず、未だ断続的な測定しかできない状態で、動脈血酸素分圧を安全、適正な値に保つて酸素療法を行なうことは、極めて困難であるとされていた。

2  早期発見

本症の発生は、眼底検査を行なうことにより観察し、発見することが可能であり、その症状の進行をみて、適切な時期に後記治療を行なうことが必要である。

しかし、生後三週間までは、中間透光体の混濁により、十分な検査をすることができないので、これが透明となる三週間経過後に眼底検査を開始し、その間隔は一、二週間毎とするのが妥当である。

四本症の治療

1  治療法

本症の治療には未解決の問題点がなお多く残されており、今日なお絶対的な治療法はないが、適期に施行する光凝固や冷凍凝固が唯一の方法と考えられている。

これらの治療法は、網膜血管末梢部の閉塞によつて生じた部分的な低酸素組織を凝固破壊して、網膜血管増殖に対する異常刺激を除くことが、第一義的な作用であると推測されているが、この作用機序は実験的に確認されたものではない。

なお凝固術は、その対象部位を検眼鏡下で観察しながらこれを実施するため、混濁などによる透見不能な例では不可能である。

その治療の基準については、前記厚生省研究班の報告によるものが、今日のところ一般的に用いられている。すなわち同報告は、光凝固について、昭和五〇年当時における平均的治療方針であり、それが真に妥当なものであるか否かについては、さらにその後の研究を待つて検討する必要がある旨の留保を付し、一応の基準として次のとおり述べている。

(一) 治療の適応

Ⅰ型及びⅡ型における治療の適応方針には大差がある。

Ⅰ型においては、その臨床経過が比較的ゆるやかであり発症から段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに、選択的に治療を実施すべきであるが、Ⅱ型においては、極小低出生体重児という全身状態に加えて、本症が異常な速度で進行するため、治療の適期判定や治療の施行そのものに困難を伴うことが多い。

したがつて、Ⅰ型においては、治療の不要な症例に行き過ぎた治療を施さないよう、慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては、失明を防ぐため、治療時期を失しないよう適切迅速な対策が望まれる。

(二) 治療時期

Ⅰ型は、自然治癒傾向が強く、二期までの病期中に治癒すると、将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、それ以前の病期のものに治療を行なう必要はない。三期において、さらに進行の徴候がみられるときに、初めて治療が問題となる。ただし、三期に入つたものでも、自然治癒する可能性は少なくないので、進行の徴候が明らかでないときは、治療に慎重であるべきである。

Ⅱ型は、血管新生期から、突然網膜剥離を起こしてくることが多いので、Ⅰ型のように、進行段階を確認しようとすると、治療時期を失するおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。Ⅱ型は、極小低出生体重児で未熟児の強い眼に起こるので、このような条件を備えた例では、綿密な眼底検査をできるだけ早期から行なうことが望ましい。無血管領域が広く全周に及ぶ症例で、血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する傾向がみえた場合は、直ちに治療を行なうべきである。

(三) 治療の方法

治療は、良好な全身管理のもとに行なうのが望ましい。

光凝固は、Ⅰ型においては、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、Ⅱ型においては、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に十分な注意が必要である。

初回の治療後症状の軽快がみられない場合には、治療を繰り返すこともありうる。

(四) その他

なお、Ⅰ型における治療は、自然瘢痕による弱視発生の予防に重点がおかれているが、これは、今後光凝固治療例の視力予後や、自然治癒例にみられる網膜剥離のような晩期合併症に関する長期観察結果が判明するまでは、適応に問題が残つている。

Ⅱ型においては、放置した際の失明防止のために、早期治療を要することに疑義はないが、治療適期の判定、治療方法、治療を行なうときの全身管理などについては、今後検討の余地が残されている。

混合型においては、治療の適応、時期、方法をⅡ型に準じて行なうことが多い。

副腎皮質ホルモンの効果については、全身的な面に及ぼす影響も含めて、否定的な見解が大多数である。

2  治療法に対する評価と限界

植村恭夫は、昭和五一年一一月、「光凝固は、現在Ⅰ型の一部にみられる進行例と、混合型に適応がしぼられてきているが、その奏効機序は不明であり、またその有効性の判定は、今のところできていない。今後の厳密な有効性を定める研究が望まれる。Ⅱ型については、病態論的に考えて、それ以上の研究が望まれる。それまでは、少なくともⅠ型における安易な光凝固の施行は、厳に戒めるべきである。」と述べている。

また、清水弘一及び野寄喜美春は、同五二年八月、「本症に対する光凝固の是非には、一時あつたかにみえる楽観主義は姿を消し、再び混迷期に入つている。」「近年もち上つてきた反省は、光凝固で治癒せしめうる本症は、元来放置しても自然治癒したはずであり、光凝固は単にその治癒過程を短縮しただけに留まるのではないかという点にある。」「本症に対する光凝固の是非や適応については将来の問題として残される」「大きな問題となるのは、発育途上の眼に光凝固を加える結果、眼球そのものの発育が阻害されるのではないかの危惧と、強膜・脈絡膜・網膜・硝子体それぞれの微妙な発育のバランスが光凝固により干渉され、遠い将来に、現在は予想もできない形での合併症がおこるのではないかという可能性である。」と述べている。

永田誠は、同五六年七月、「最近の本症による盲児は、ほとんどが光凝固による治療にもかかわらず失明しており、しかも視力障害以外の重複障害をきわめて高率に伴つていることは、重症未熟児網膜症特にⅡ型網膜症の治療に限界があることを示し、年間全国で推定五〇人程度の重度視覚障害児は今後も発生し続けることが予想される。」と述べている。

欧米においては、光凝固に対し、その効果が未だ確認されていないとして、慎重論が多く、ほとんど実施されていない。

第三被告の責任

一医師の注意義務

医師は、人の生命身体の健康管理を目的とする医療行為に従事するものであるから、患者の診療に際しては、その当時の一般的医療水準である専門的医学知識に基づいて(ただし、後日修正されたり、改められた知見については、これに従うべき義務はない。)その病状を把握し、治療を尽すべき注意義務を負担しているものであり、右注意義務を尽して診療行為を行なうことが、医療契約の債務内容である。

二本件当時の一般的医療水準

そこで、まず、被告の注意義務違反の前提となる原告保成出生当時(昭和四六年から同四七年八月ころ)の本症に関する一般的医療水準を検討する。

〈証拠〉を総合すれば、次の1ないし3の各事実が認められ〈る。〉

1  本症の発生に関する知見

昭和四〇年代当初においては、本症の病態について、オーエンスなどの分類法も紹介されており、本症は、高濃度の酸素を長期間投与された未熟児に発生するものとされ、その予防のためには、酸素投与を制限し、その濃度を四〇パーセント以下に保つべきものとされていた。

ところが、植村恭夫らにより、同四〇年ころから次第に、酸素濃度を四〇パーセント以下に保つた場合や全く酸素を使用しない場合にも本症の発生がありうること、未熟児に呼吸障害やチアノーゼがみられるときは、死亡や脳障害防止のため、高濃度の酸素投与を継続する必要があるが、それらの症状の改善がみられたら、本症の予防のため、眼底所見を確かめつつ、酸素濃度を下げていくべきであること、本症の発生は、環境酸素濃度よりも、網膜の動脈血酸素分圧との関係が強く、これを一五〇ないし一六〇ミリメートル水銀柱以下に保つと安全であること、本症には自然緩解率も高いことが報告され、未熟児の眼科的管理の重要性が叫ばれるようになつた。

同四六年当時において、動脈血酸素分圧の経時的測定は容易ではなく、これを測定して酸素管理をしていた病院は数少なかつた。

本症の病態については、従来、すべて段階的経過をたどるものと考えられていたが、同四六年ころから、急激に悪化するいわゆる激症型(前記Ⅱ型)の例が報告され始めた。

2  眼底検査に関する知見

同四〇年ころから、植村恭夫らによつて、未熟児に対しては、生後三週間から三か月までの間、一、二週間毎の定期的眼底検査の必要性が説かれた。しかし、初期病変をとらえるための倒像鏡による検査は、相当な熟練を要するものとされていた。

同四三年、永田誠らは、後記のとおり光凝固術施行例を報告したが、その治療の適期をみるためにも、定期的眼底検査が必須の要件となる旨を説き、同四五年五月には、「網膜周辺部血管に、うつ血、新生血管などの異常を発見したならば、その後は一週間毎に追跡し、もし滲出性の境界線が出現したならば、場合によつては週二回の監視が必要と思われる。」「本症活動期病変の実態とその意義をすべての小児科医、産科医、眼科医が十分に認識して、熱意をもつて未熟児の眼科的管理を行なう必要がある。」「眼科医が生後一か月から三か月までの最も危険な時期における網膜周辺部の観察を完全に行なうことが必要である。」と強調し、未だ臨床医の間に眼底検査に対する認識が不十分なことを指摘した。

同四五年一二月、植村恭夫は、本症の早期発見のための態勢を確立し、定期的眼底検査を実施することが必要であることを指摘し、「すでに、かかる眼科的管理の行なわれている施設もあるが、全国的に普及するまでには至つていない。」と述べている。

3  光凝固法に関する知見

(一) 同四三年、永田誠らは、本症の活動期の症例二例に対し、オーエンスⅡ期からⅢ期に移行した時期に光凝固術を施行したところ、頓挫的にその病勢を停止させることができたと報告し、本症の有効な治療法となる可能性のあることを示唆したが、あわせて、本症には自然治癒傾向が強いことや、発育後の眼球にいかなる影響が現れるか未解明であることを指摘し、それが正当な治療手段であるか否かについては、なお批判の余地が十分あるとした。

(二) 同四一年五月及び同四四年一〇月に光凝固講習会が開催され、同四五年秋及び同四六年五月には全国的規模の光凝固研究会が開催された。わが国における光凝固装置は、同年八月において約六〇台であつた。

(三) 同四五年五月、永田誠らは、光凝固を施行した四例の追加報告を行ない、「この治療法を全国的な規模で成功させ、わが国から本症による失明例を根絶するためには、幾多の困難な事情が存在する。」と述べ、その施行のための病院内の態勢を整えることや病院間の連絡を密接にして行く必要があることを指摘した。

(四) 同年一一月、永田誠は、本症の病態、眼底検査及び光凝固の方法等につき、総括的説明を加え、「現在光凝固装置はすでに相当台数全国的に設備されている。これを各地区ごとのブロックに分け、本症治療のネットワークを作れば、本邦から本症による失明例を根絶することも夢ではない。」との提唱を行なつた。

(五) 同年一二月、植村恭夫は、「光凝固装置は、かなり高価な機械であり、これを備えている病院は僅かなものである。未熟児施設には、是非これを備えるように、未熟児を取り扱う医療関係者は要望すべきである。」と述べている。

(六) 同四六年四月、上原雅美らは、本症には急速に進行する例があり、これについては早期に光凝固を行なうべきことを説き、「体重八〇〇グラムというような極端な未熟児では、眼底周辺の観察が困難で、観察可能となつた時期には、すでに光凝固で病勢を阻止しえない高度な変化を招来しているようなやむをえない症例もありうる。」と述べている。

(七) 同四七年三月、永田誠らは、「今や未熟児網膜症発生の実態はほぼ明らかとなり、これに対する治療法も理論的には完成したということができるので、今後はこの知識をいかに普及し、いかに全国的規模で実行することができるかという点に主なる努力が傾けられるべきではないかと考える次第である。」と述べている。

右認定の事実によれば、本件当時、本症の予防については、酸素管理の重要性が指摘され、その治療法として、光凝固術が効果的であり、その施行のためには、定期的眼底検査が必要であることが発表され、ごく限られた一部の病院及び研究者らによつて光凝固が実施され、その報告が次々とされていたことが明らかであるが、未だ、右治療法が臨床医の一般水準的知識となつて、一般の病院及び臨床医の間に普及していたものではなく、また、本症についての定期的眼底検査や光凝固を実施することのできるごく限られた一部の病院及び研究者らと、一般の病院及び臨床医との間の連絡や転医の態勢も十分に整つてはいなかつたことも明らかである。

三被告の過失

前記第一で認定した原告保成の診療の経緯を、前記第二の現時点における知見及び前項の本件当時の知見に照らして、原告ら主張の注意義務違反の有無につき検討する。

1 酸素管理について

被告病院は、原告保成のチアノーゼの有無や呼吸状態等に注意を払い、その観察のもとに酸素投与を管理し、酸素濃度についても、当時一応の安全値とされていた四〇パーセントの範囲内である三〇パーセント以下に抑え、慎重にその量を調節し、同原告の全身状態が一応安定した昭和四七年九月八日までこれを継続したのであるから、これらはいずれも適切な措置であつたものというべきである。

なお、動脈血酸素分圧の測定については、本件当時未熟児に対してこれを行なうことは容易ではないとされていたのみならず、その継続的測定法は未開発であつた。そして現在においては、酸素管理のためには、これを継続的に測定しなければ無意味なことが明らかにされているのであるから、被告病院がこれを測定しなかつたことをもつて、その責任を問うのは相当でない。

2 眼底検査について

本件当時、定期的眼底検査は全国すべての病院や臨床医の間で実施されるには至つていなかつたが、生後三週間ないし一か月後からこれを行なうべきであるとする報告が発表されており、この基準は、現在でもほぼ同様なことが明らかである。

本件においては、生後四〇日目に実施されたものであり、右基準からは多少遅れているが、原告保成の全身状態及び呼吸状態の安定度に照らし、それより早期に実施することは困難であつたことが明らかであるから、遅きに失したものとは到底いうことができない。

また、原告らは、被告病院の波田医師が右眼底検査時に本症であるとの診断を下さなかつた点を非難するが、同医師は即日本症の専門家であるこども病院の山本医師に所見を報告して来診を求め、同医師の指示した日に原告保成を同病院に転医させたものであつて、波田医師の診断によつて、原告保成に対する被告病院のその後の措置に適切を欠いたという経過は認められず、原告らの右主張は理由がない。

3 治療及び転医について

今日においては、本症に対する副腎皮質ホルモンの効果は否定されており、またビタミンEの投与が本症の治療法として有効であると認めるに足りる証拠はないから、被告病院がこれらの投与をしなかつたことをもつて、被告の過失とすることはできない。

原告保成の同年九月一四日の眼底検査の所見のうち、網膜血管に軽度の蛇行があること、右眼硝子体に増殖性混濁が強いこと及び後極部の網膜に剥離は認められなかつたことなどからすると、当時の同原告の本症の進行度は、オーエンスⅠ期又はⅡ期、厚生省研究班の分類による活動期の一期であつたものとみることができる。したがつて、その後同月一八日に本症の専門家であるこども病院の山本医師の来診を求め、同月二二日に同病院へ転医させた被告病院の措置は、当時厚生省研究班の分類によるⅡ型(急激進行型)の存在が十分解明されていなかつたことを合わせて考慮すれば、いずれも遅きに失するものではなく、適切なものであつたことが明らかである。

なお、原告保成の生下時体重、身体状況、無呼吸発作の反復、眼底所見(特に混濁が強かつたこと)、失明に至つた時期等に証人永井崇夫及び同波田啓子の各証言を総合すると、同原告の本症は、右Ⅱ型ないしは混合型であつた可能性が濃厚である。

よつて、右いずれの点についても、被告には責任がないものというべきである。

〈以下、省略〉

(中川敏男 上原健嗣 服部廣志)

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